日本の企業と太平洋戦争【その1】
2021/04/15
皆様こんにちは。
外はどんより曇りがちです。
皆様はどうお過ごしでしょうか。
建築とは、無関係でしょうが、日本企業の体質について書きます。
日本の企業と太平洋戦争。
この間、友人が会社に訪問しに来た。
とある会社で、営業をしている。
多数のガス会社を渡り歩き、ガス業界で営業一筋の約30年のキャリアを持つ。
営業一筋なのに、ガスに係る資格を多数保有している。
新規顧客開拓の為に、他の営業マンと違い、エリアは持たない。
そんな彼には、役職はない。
建築に係る営業には、形のないものを売る厳しさがある。
発注時に、証明するものがないので、基盤がない様に映る。
私も過去、大手から中小企業、零細と務めた経験がある。
大半の組織は、会議やらで、社長や部長を先頭に業績向上を唱え、躍起になっている。
「本当だろうか?」と疑問を持つ。
とある会社で品質管理室長をしていた時、ISOで人事評価制度に切り込んだ事があった。
社員約50人からアンケートをとって、業績向上の為に何をすればいいかを全社員に問うた。
明白な答えは、「分かりやすい人事評価」だった。
営業マンなら、売り上げ、新規開拓数、粗利をデータで示す。
これだけ、売って、利益は○○%で係長、その上は課長と。
「下」が業績を伸ばせば、「上」は、明確に人事評価をすればいいだけだと思った。
設計であれば、描ける図面内容と速さと正確さが基準であり、営業マンなら、顧客数と売り上げだと思った。
結局、その会社では、決定賢者の社長が、この装置を、認めず、はっきりした人事評価制度を作らなかった。
一社だけでない。
過去務めた会社の半数以上がそうであった。
社長に近いポストの分、期待と喪失感が強く印象に残った。
「出る杭は打たれる」「出過ぎた杭は打たれない」と人は言う。
本当にそうだろうか?と思った。
「出過ぎた杭は、決定賢者の嫉妬を生む」が正解だった。
明確な人事評価制度で劇的に売り上げ向上が見いだせるのに、決定賢者がひ弱な器であれば、嫉妬しか生まない。
社長が会社という器を誰かに乗っ取られると勘違いするらしい。
そうして、「出過ぎた杭」は、会社で居場所を失う。
会社組織の中では、「社会不適合者だ」と烙印を押される。
やがて、社会不適合者は、独立して自分の会社を持つ。
日本社会は、歴史を見分すると、独創性を持つ者は短命であり、周囲から浮いている。
信長、竜馬、義経などであり、司馬遼太郎曰く、「体制製造家」と呼んでいた。
家康、博文、家光など、人を接着する作用のある者は、施周能力があり、事務的作業性が長けた者を「処理家」と呼んでいた。
「体制製造家」と「処理家」の中継ぎがいて、3種類のタイプで構成されているらしい。
秀吉や家忠であり、体制製造家の体質を継承し、次につなげる役であるそうです。
端的に言えば、組織の変革には独創家が必要であり、
足りない部分は施周家が必要。
2人を取り持つ「中継係」で、主役3人衆で変革が完成する。
歴史には、目立って登場しないが、礎のフロントの「承認係」も重要な役だ。
斉彬や松陰、長州藩主の「そうせい公」も、偶発的ではあるが、承認係だったと思う。近代では出光の日田重太郎氏。
角度を変えれば、武家政権と天皇家との関係性にも類似性がある。
もの言わない、後援者だ。
今日は、この辺で。
ご拝読有難うございました。