しあわせのかけら3

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木になる噺し(ブログ)

しあわせのかけら3

2024/08/03

しあわせのかけら3

15年の夫婦だった元妻は、中国人だった。

 

知的で、高学歴、社交的で、スタイルもよく、美人な生粋の上海育ちのお嬢様だ。

母は、国立の歌手で、父は上海オークラの中国人のスタッフの責任者だった。

 

知性は別として、条件や家柄などでいえば、全てが違っていた。

離婚した時に、親族間では、「国柄の違い」と幾度となく云われた。

 

親子でも個性の観点では、「考え方」は、当然違うものである。

 

また、親でも、子の持つ持論などは、大事なものであり、個性は最も貴重だと思って、育ててきたと思っている。

親子間でできた個性の尊重は、元妻にしてきたのかと、反省は深まる。

 

確かに、育った国家が違う事は、恐らく国籍が同一な事より、「違う」という観点では、その差は大きいのは確かだと思う。

実際、元妻は離婚前、周囲に中国人が少なく、携帯をいじっている姿は寂しそうで鮮烈な記憶だ。

 当時、小泉内閣で、中国との国家間で、家庭内でも争いの種になったこともある。

ただ、考え方や風習、国家の「違い」は、今考えれば、大きな差だったと、思えない。

 

「違いの差」は、単なる顕在的な現象であり、その根源ではないと思う。

考え方などの違い修復する根源は、「認める力」だったと思う。

もっといえば、「思いやる心つかい」の欠如だったと思う。

 

 出合ったばかりの時から恋愛成就期間でも、第一段階の合否は、互いの雰囲気や顔立ち、好みなどの感性が合致している事には間違いがない。

 

現に、元妻の芸能人などの好き嫌い、音楽・映画の好み、ファッションセンスなどのおおよそ、好みの観点は、共通している。

親子間でも感性に差異はない。

 

その意味では、根底的な心の共通性は、深いところで共通していると、今でも思っている。

 

第二段階でいえば、私が元妻の考え方の相違点などを受け入れない事だったと思う。

斟酌せず、「思いやる」繊細な心つかいや配慮がなかったという事だと思う。ましてや、破壊しつくした。

 

夫婦間は元々他人である。

しかし、その他人が夫婦であれば、他人の違いという観念を認める必要がある。

相違を理解し、共有し、深め、互いの秘密ごとを排除して、正直な考え方や態度、会話で示す事になる。

 

この点では工夫が必要だった。

特に会話や日々の共通課題の取り組み方が日常には山積する。その事には、工夫が必要だった。

日々の習慣性は、連続性が伴うので、ミスに気づきにくい。しかしミスは累積し、確実に降り積もる。

 

「斟酌」すれば、汲取ったうえで、手加減したり、思いやる気持ちが大切だったと思う。

「伝える」という漢字には、人が云うと書く。

伝える為には、愛や尊ぶ心が必要なのだと今になって思う。

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