修行と学習
2024/02/12
建築課を昭和63年に卒業をして、台東区の小さな設計事務所に勤務した。
当時は、手描きが主流だった為、製図は線の美しさが品質の良さであり、文字も誤解されない様に印刷物の文字を模倣して記入した。
習った事は「シ」と「ツ」違いであった。
シは点々を横に書き、ツは点々を縦に書くと教わった。
勤務して1年間は、仕上表の表や、建具表の表ばかりを描かされた。
トレッシングペーパーに製図するから、裏から、平面図を描き、キープランなどに用いた。
当然毎日がトレースや線ばかりの製図であり、単調な作業ばかりであった。
まさに「修行」であった。
外出するときは、第二原図のコピーを頼まれたくらいだった。
第二原図は、印刷屋さんで、原図となる図面を持っていくと厚手のトレッシングペーパーのような紙に、印刷された図面を複製してもらうものだっだ。
現代では、CADのオペレーティングが製図そのものなのだから、コマンドなどの機能性を熟知する事が、早くて正確な製図だといえると思う。
その観点では、現代の製図は、「学習」である。
当時の設計には、学習以前に「修行」が必要だった。
「学習」には、頭の良さや予習復習が必要な様に、それ以前は「修行」が必要であり、耐える事が求められる時代だった。
学校では、建築課を卒業していたが、「建築基準法」の先生はもっぱら「役所」だった。
役所や土木事務所の建築指導課や建築審査課なるところが、建築確認申請を見ていたので、細部は行政に、手厳しく、教わった。
当時の建築確認を審査している課は、どの役所も「不夜城」であり、役所の前を通っても、他の照明は消されていても、その課の照明は、遅くまで煌々としていた。
設計事務所も、入社した時、この業界は「祝日、土日なしの不夜城」だと云われた。
図面の書き方も先輩や所長のものを模倣した。
建築家のドローイング集や建築雑誌、図面集も積極的に買ったが、高かった。
14万の月給から、雑誌でも安くて5000円であり、図面集などは高額なものは10万した。
いずれにしても、調べるのに、NETもない時代だったので、知識を得るためには、
必死に捻出した。