工事費と品質のバランスについて

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木になる噺し(ブログ)

工事費と品質のバランスについて

2020/03/25

みなさま。こんばんは。

職人バッカの千葉です。

 

最近桜も咲きだして、春を感じます。

ネクタイもピンクをしていました。

 

さて、今日は、品質と価格の事でお話しします。

設計段階では、お施主様から、希望の間取りを聞いて、工事規模を確定していきます。その後、施工費を算定しますが、実際、お施主様の望む理想の施工金額とは、必ずギャップがあります。大半は、希望施工費より、見積金額が高く算定されてしまいます。

グレードや建物規模が確定後なので、規模を小さくすれば、希望施工費に近づきますが、あまり、お施主様も設計者も施工者も望まない作業です。なかなかこの施工費と品質のバランスを図る複雑な作業で、何年やってもとても難題です。

施工費から考慮すれば、規模や仕上材などが希望通りにならない事も多くありますし、

希望空間を充実させて、設計をしていけば、施工費が合わない事になる。

そんな事で、随分、長年にわたって、希望空間と希望施工費のバランスに苦慮してきました。

 

結局、お施主様の立場からすれば、

「安く抑えたいけど、高品質でいい家に住みたい」

と思われるのが結論だと思います。

 

このバランスがとても難しいのです。

希望空間や演出をお施主様から伝えられて、図面化するわけですが、施工費に対して、設計当初から、嫌な予感が的中して、高い施工費が算出されます。

設計時にどれだけ、あらゆる個所を具体的に情報伝達が適格に「高い」「安い」の方針を示すかは、後のプラン変更が少なくなるかにかかる訳です。

よく、「こんなキッチンで・・」とかお施主様は、希望空間を具体的に伝えられますが、反対に大半のお施主様は全体施工費に対しては見積が出た時点でないと、お伝えされません。

適格なプランと品質の下支えは、設計者と、施工見積作成者が同一人物でないと、割り出せないのが本音です。

「施工費は、おおざっぱに幾らですか?」と訊かれます。

しかし、実際、施工費の概算は、「基礎工事が120万で、屋根工事と同額程度として、サイディングは100万と仮定して・・」など各工事費を概算して、それを積み重ねて、全体施工費を出します。

そうしますと、おおざっぱより多少現実的な工事費を算出できます。

坪幾らは、品質を考慮するときに目安となりますが、変哲のない真四角な建物で屋根や外壁に凹凸のないものには、坪幾らは便利な指標です。

しかし、中庭を囲む様な住宅であれば、外壁面や屋根構造が複雑になり、坪幾らの指標は通用しません。

本来、仕上材で品質が決定されていると思われているお施主様は本当に多くいますが、実際は、職人の手間数が工事価格に大きく影響します。

 

つまり、打合せ時に言われた希望を図面化しますと、図面は言葉ですので、施工費として重く圧し掛かってきます。

仕上材より、この希望やお施主様要望が施工費として、算出されてきます。

しかし、実際、打合せ時には、お施主様はせっかくの新築やリフォームですので、たくさんの希望や要望を言われます。

元来、職人は手間を惜しまないのが職人にとっての生命線です。

現代では、この手間を施工費として計上します。

 

それは、工事契約方法が請負方式を一般的な契約方法として採用している事に起因していると言えます。

 

江戸時代までの日本では、職人の世界では、出来高方式が一般的でした。

出来てもいない商品を納める場合、出来高契約をして、出来栄えによって、依頼者が価格を決定して定めている方式です。

この場合、職人は馬鹿にされたくない一心で、手間を掛けます。

そうして、出来たものに依頼者が価値を定めるというものです。

 

学生時代、建築課程の授業を受けていたころ、こんな方式がなんであるか、さっぱり理解ができませんでした。

 

然し、職人側からすれば、本音は手間をかけて、いい仕事を納めたいと思っています。

しかし、その手間に見合う価格を捻出する方法がないという事からすれば、当然かもしれないと思う様になりました。

 

オートマチックのスイス時計が高い理由も、手間に価格が反映されているからでしょう。

しかし、建築の場合、依頼された時点では、商品がない。

つまり、商品がない分、価値が定められないという手法だったと思います。

 

依頼者も、依頼物の完成度がよく理解できていないと、価値が分からないので、安く値踏みすると、価値が分らない未熟な方と馬鹿にされますので、

江戸時代には主流で一般的だったので、その時代では、粋な世界観があったんだなぁと思います。

 

こんな事からすれば経済や経営の側面からすれば、不確定な契約ですので、現代では敬遠されるのも分かります。

 

しかし、考えてみれば、職人を育む環境では、やっぱりいいと思います。

いい仕事をしないと価値にならないと判断されるから。

また、その品質の本質や仕事量を測れない依頼者であれば、「粋」でないと言われますので、日本文化の香りがします。

日本はこんな背景からも、やっぱりものづくりを基盤とした、職人文化が下支えした事がこの国を成形してきたと思うのです。

 

日本が、ものづくり国家から、徐々に体力を奪われ、あまり得意でない「商業」や「グローバル化」に活路を見いだせないで瞑想している様に思えるのも、私だけでしょうか。

 

ものづくりが多少不器用で完成度が未熟でも、世界的マーケティングを席巻している隣国は立派ですし、それに模倣したり、アメリカ模倣を70、80年代繰り返してきた、日本に活路はないと思います。

日本は、隣国などを参考としないで独自の美学の良さをもう一度見直せる時代だと思います。

 

では、今日はこの辺で。

ご拝読有難うございました。

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