設計事務所で自然素材で注文住宅を造る
2020/02/09
みなさま、こんばんは。
いい材料とは何か?
板前さんやシェフでも、早朝から、港や畑にいって、「鮮度のよい魚や野菜」を仕入れにいきます。
これは、職人にとって人任せにできない本質があると思います。
いい店や職人であれば、やっぱり人任せにできない「自分の目で確かめたい」という気持ちが働きます。
「高品質でなるべく低価格」が、最大のテーマですね。「すごく良いものをリーズナブルな価格で提供したい」という職人魂がやっぱり、働きます。
建築でも、職人をやっていますと、フェイク材はなるべく使いたくないのが本音です。
まじりっ気なしの「無垢材」を、高くならない様に、提供したいという気持ちが本音にあります。
フェイク材は「人工物の化け物」ですから、使えば、そこそこ見栄えもしますし、加工性のよさ、しかも気温湿度の影響で変形もあまりおきない、つまり材料のくせを読まなくてもいいメリットがあります。
しかし、経年劣化がダメです。
5年、10年しますと、歳の取り方が悪い。みすぼらしく、味がないという印象を抱きます。
表面が剥げたり、傷が汚い。対候性の日焼けが、汚い。水に濡れたら、極端にみすぼらしく、材料としてひ弱な印象です。
なにより、経年劣化が酷い。
この歳をとった時に補修をお願いされても、補修がややこしく、劣化が味にはならない。
例えが、いいとは思いませんが、女性で言えば、「女は20代まで」と決めつけた男性の価値観に似ている様な気がします。
「若い=美しさ」という刹那的な価値が、フェイク材に似ている気がしてしまいます。
「本物である」というのは、実は手間を掛け、維持メンテナンスを長い時間かけて作り上げた「経年劣化」でなく「経年変化」を楽しむ事だと思うのです。
もちろん、本質は「本物」が基本であり、フェイク材は、どんなに維持メンテナンスをしても本物にたどりつけない領域がある気がします。
近年では、「本物ならではの欠陥」もコピーをしています。
複合フローリング材があります。
木製なのですが、何層かの材を集積して、表面は無垢材に似せた「フェイク材」です。
この材を設計事務所の下積み時代から、図面に幾度となく、指定してきました。
この材料は、良質な材料の見栄えのいい部分の印刷物や、表面のみ薄くスライスした材を貼り付けたものです。
当然、表面の仕上面(フェイス)はとても、良好で、見栄えがします。
価格も手ごろで、入手しやすいのも、設計者にとって図面に指定しやすいものです。
しかし、近年「虫食いや傷、割れ」などのダメージも、完コピされる商品が出回りました。
プロでさえ、よく見ないと見分けがつかないものも数多く、出回りました。
品のある女性の歳の重ね方は、上品であり、凛とした美しさがあります。
経年で品が堆積し、徐々に、溢れ、若さでは解決しない、風格と気品があります。
女性と建材を同等に例えた事は良くない表現だと、謝りますが、
品性の本質とは、愚直にも、本来の質を信じ、経年の手間を惜しまない事で成り立つものという部分は、類似する表現だと思います。
もともと、古材もアンティーク品も、材の本質は無垢という「本物」であります。
また、作り手側の「手間」という「仕事量」が下支えしています。
そして、ユーザーにわたり、日々の清掃や補修が「愛着」を生み、長年にわたり「継承」を生む。
「維持メンテナンス」が「経年変化」を造り、日本文化に溶けていくのだと思います。
家を造った場合、この無垢という「本物」という条件を
安価で加工性のよい「フェイク材」にした場合、
作り手の「手間」が省け、
その結果、「職人」がユーザーに対して「継承権」奪ってしまうのではないかと危惧するのです。
恐らく、「職人」として生きていれば、この価値感は、
現代社会において「自分の仕事量と材料」と向き合いつつ、
「価格、納期、引き渡し後のクレーム」という反則面の危惧感との、
はざまで葛藤していると思います。
職人は、その葛藤がなければ、本質は職人と呼べないと思いますが、
みなさまはこのテーマは、いかがお考えでしょうか。
では、本日はこのへんで。
ご拝読、有難うございました。